院長の趣味 映画観賞

西暦2001年から二十一世紀とするのが正しいという。とすると、今年、西暦2000年という年は、二十世紀が満了する年というわけだ。

私自身、激動の二十世紀の後半48年を生きてきたことになる。来るべき二十一世紀の世界は、どんなふうになるのだろうか。


<社会の様子はどんなふうになるのだろうか?>

映画「ブレードランナー」(ハリソン・フォード主演)が描くような、酸性雨が降り注ぎ暗くジメジメした都会。人造人間(レプリカント)と共存する社会。「ソイレントグリーン」(チャールトン・ヘストン主演)で描かれるような、上下の階級の差が大きくなり浮浪者がたむろする都会。

絶対的に不足する食糧に対する信じられないような方策。「フィフスエレメント」(ブルース・ウィリス主演)で描かれる未来の都市風景は、どちらかというと明るいイメージだが、なんとなくウソっぽい。人類が新世紀で直面するであろう大きな問題の数々を考えると、思わず立ちすくんでしまう。

人口の増加、水や食糧の不足、環境破壊と異常気象、地球温暖化と海面上昇、民族間の対立、核拡散、など。いつか傑出した人物が出現して、常人が想像すらできないような画期的な解決策を考え出してくれないものか。

タイトルは忘れたが、ある映画の中の救急救命室の場面。瀕死の子供に懸命の蘇生を試みる女医が「この子が人類を救うかも知れないのよ!」とみんなにハッパをかける。印象深い場面だった。

<医学・医療の領域ではどうか?>

映画「ガタカ」で描かれる未来はずっと現実味がある。そこでは、もはや指紋など用はない。少量の尿または毛髪1本で、またたく間に遺伝子が解析され素性が明らかにされる。

このため親たちは、好ましくない遺伝子を除去し、すぐれた遺伝子に入れ替えて子供を作る。そういう操作をしないで”自然に”生まれてくる子は「神の子」といわれ、遺伝子の欠陥からのがれられないために、大きなハンデを負い、表舞台には出られない。

こういう時代には、医師はどんな仕事をしているのだろうか。想像はむずかしいが、おそらく患者さんの遺伝子の分析結果を手にして説明しているのだろう。健康診断は、まず、遺伝子分析から始まるに違いない。そして、病院では臓器移植や遺伝子治療が、通常の治療としておこなわれている。

<日々の診療の現場で>

来るべき情報化社会では、医師と患者の関係は否応なく様変わりしてゆくであろう。しかし、いくら社会情勢が変化し医学が進歩しても、開業医としての基本姿勢は見失ってはいけないだろう。

一昨年封切られた映画「カンゾー先生」では、終戦前の岡山の片田舎を舞台に、患者のために東奔西走する開業医の姿が描かれている。「開業医は足だ。片足折れなば、もう片足にて走らん。両足折れなば手にて走らん。」という叫びには、私も一人の開業医として心を突き動かされるものがある。

さて、私のいる山梨の現場へ目を向けてみる。将来、甲府盆地をリニアモーターカーが疾駆する時代がきても、私自身は、カンゾー先生のように走るのはちょっとしんどいので、歩いて又は往診用バイクか車で往診や訪問診療をしているであろう。そして夜は、相変わらず映画を見ながら浮き世の憂さを忘れようとしているだろうか。

<この夏、映画を見ながら考えたこと:2004>

毎年8月になると原爆や戦争のことを考えます。毎年、8月6日;広島・平和記念式典、8月9日;長崎・平和祈念式典、そして8月15日の終戦記念日、などについて報道があります。

戦争、被爆、敗戦、という過酷な体験をして、多くの日本人が深い「心の傷」を負ったに違いありません。必死の思いで立ち上がり、復興を成し遂げた人々の心には、もう二度と戦争はしない、原爆も御免だ、核兵器のない平和な世界を実現したい、という思いが強いことでしょう。

この夏、「黒い雨」と「この子を残して」の二本の映画を改めて見直しました。広島と長崎に落とされた原爆によって、大きな犠牲と大変な苦難を与えられた人々を描写しています。以前にも見ていますが、繰り返し見ても感慨深いものです。

映画「黒い雨」は、井伏鱒二の小説「黒い雨」を映画化したもので、監督は今村昌平、音楽は武満徹、1989年(平成元年)に公開されました。モノクロームの映像と静かな語り口の中に、戦争と原爆への怒りが込められています。

昭和20年8月6日、広島に投下された原爆による「黒い雨」を浴びて被爆してしまった若い女性・矢須子(田中好子)。戦後、叔父夫婦(北村和夫、市原悦子)は何とか矢須子を嫁がせようと腐心しますが、被爆のことが先方に知れるたびに破談になってしまう。そのうち、矢須子の身体にも徐々に異変が起こってきて…。

映画「この子を残して」は、長崎で被爆した医学博士・永井隆原作のノンフィクションの映画化で、監督は木下恵介、1983年(昭和58年)に公開されました。

出演は、加藤剛、十朱幸代、大竹しのぶ、淡島千景など。長崎医大放射線科に実際に勤務していた永井隆博士が、原爆で妻を失い、自らも被爆した体験を後世に残すために重い病状に耐えながら書き綴った手記をもとに、原爆投下前後の長崎の様子、まだ幼い二人の子供たちへの愛情、病魔と闘い少しでも生き延びようとする闘志、復興への道を描き、反原爆と反戦のメッセージを込めた作品です。

主演の加藤剛が永井博士を熱演しています。映画の中で、進駐軍の将校が写真を撮りながら通りがかり、永井博士親子に声をかけます。博士が英語で、落ち着いた声で答えます。「君たちのとった写真を、君たちの国のできるだけ多くの人々に見せていただきたい。あの丘の上には、東洋一の教会があった。そして、君たちと同じ神に愛を捧げていた人達が一万人も楽しく生活していた。

しかし、原子爆弾で8400人が死んだ。そのことを話してあげて下さい。」 そのように英語でいわれて将校たちは驚き、博士に敬礼して立ち去っていきます。永井博士のこの言葉は、原作中には見つかりませんが、永井博士は多くの著作を残していますので、他の本からの引用かもしれません。または、脚本の山田太一・木下恵介の二人が考えたのでしょうか。

<この夏、映画を見ながら考えたこと:2005>

今年は、広島・長崎への原爆投下から、そして終戦から60年たつということで、例年にもまして原爆や戦争について関心が高まっています。戦争、被爆、敗戦、という過酷な体験をしてきた人々が高齢化し、減っていく一方で、身をもって体験していない人々が徐々に多くなっています。

なぜ戦争に突入しなければならなかったのか、戦争中や戦後の悲惨な体験、必死にがんばって復興を成し遂げた人々の努力、などを「忘れてはいけない、語り伝えていかなければいけない」、といわれます。確かにそのとおりと思いますが、戦争を体験していない世代にとっては、戦争について「まず事実をきちんと知ること」が大切なことと思います。この夏、「tomorrow 明日」、「あゝ声なき友」、の二本の映画を改めて見直しました。

映画「tomorrow 明日」は、1988年の日本映画で、原爆投下の前日、1945年(昭和20年)8月8日から、翌日の投下までの長崎の一日を描いています。

井上光晴原作の小説『明日・1945年8月8日・長崎』の映画化で、監督は黒木和雄、出演者は、桃井かおり、馬淵晴子、南果歩、佐野史郎、なべおさみ、長門裕之、田中邦衛、など。8月8日、夏の暑い盛りの長崎、物資が不足し、いつ空襲警報が鳴るか、という中でささやかな結婚式がおこなわれようとしている。

花嫁の姉は臨月で、初めてのお産がせまって不安がっている。母は、はげましながら、忙しくお祝いの膳の用意に追われている。お手玉から取り出した小豆を甘く煮て、母はお産をむかえる娘に少しでも力をつけさせてあげようと食べさせる。その夜、新婚の夫婦はささやかな夕食を食べ、新婦の姉は苦しんだ末に男児を出産する。新婦の同僚、妹、新郎の友人の軍人、などの状況も織り込んで描かれる。

いずれも、ごく普通の庶民が、戦争中の苦しい時代の中で、一日一日を精一杯生きている様子が描かれている。明けて8月9日、いつもと変わらず朝がきて一日の生活が始まり、今日も暑くなるなあ、と見上げた空で、午前11時02分、原子爆弾が爆発した。 黒木和雄監督は、この映画の続編として、2003年に「美しい夏キリシマ」、2004年に「父と暮らせば」、と監督し、これらは黒木和雄監督の「戦争レクイエム三部作」と呼ばれています。

映画「あゝ声なき友」は、1972年(昭和47年)の日本映画で、監督は今井正、原作は有馬頼義「遺書配達人」、主演は渥美清です。渥美清は、この年、「男はつらいよ」シリーズの第9作、第10作に主演していますが、その合間を縫って本作品に出ています。

病気で入院療養していたために、全滅した分隊中ただ一人生き残った西山民次(渥美)は、戦友12名の遺書を抱いて本国へ帰還した。家族は原爆で亡くなり身よりのなくなった西山は、東京で板前として働き始めるが、戦死した戦友たちのことを思うといてもたってもいられず、仕事を犠牲にして全国に散らばる遺族を訪ね歩く。

しかし、行く先々で悲劇が待ち受けていた。躯を売って生き延びている妻は健康を害し、病院に駆けつけた西山に夫のやさしい遺書を読んでもらいながら息を引き取っていく、息子の手紙に泣き崩れる父親、弟を待ち続けて結婚の機会を逃してしまう姉、精神を病み遺書を見せても何も反応しない妻、引き取られた家での虐待に耐えかねて一家を惨殺し死刑になった弟、再婚して幸せに暮らしていた妻が遺書を見たことによって夫婦仲が壊れていく、ある家では戦死したはずの本人が生きており、8年間遺書の配達に奔走した西山に対して「みんな忘れてしまえ、その方がずっと楽だ……遺書なんか焼いてしまえ!」と怒鳴り、罵る……。

<映画に描かれた「自閉症」>

自閉症を持った人物が主人公の映画として、次の二つを取り上げてみます。

レインマン「Rain Man」、1988年度のアカデミー賞4部門受賞に輝くアメリカ映画です。
自閉症の兄レイモンド(ダスティン・ホフマン)と、家を飛び出して自由奔放に生きてきた弟チャーリー(トム・クルーズ)が、父親が亡くなって遺産相続をすることになって久しぶりに出会う。故郷のシンシナティからカリフォルニアへ向かう道中、遺産の大部分を相続することになった兄から、弟チャーリーは後見人となって遺産を奪い取ろうともくろむ。

自閉症で40数年も自分の世界に生きてきた兄の「普通じゃない」様子に振り回される弟。理解できない兄のこだわり、たとえば、飛行機は嫌いだから絶対に乗らない、テレビ番組・食事のメニュー・衣類のブランドなど、いつもの決まったものでないと納得せず、落ち着かない。一方で、抜群の記憶力を持っており、電話帳をめくりながら記憶してしまい、レストランでウェートレスの名前を聞くとたちどころに電話番号を言って見せてウェートレスが目を丸くしてビックリする。

記憶力に加えて暗算も得意で、ラスベガスでは兄弟で、カード賭博で大金を得てしまう。一緒に旅をしながら弟は、この兄こそが自分の幼い頃の辛い思い出の中で、唯一心なごませる存在であった“レインマン”であることを知って、心を揺さぶられるのだった。ロスに到着した2人は、兄弟としての絆を確認しながらも、兄として弟として、それぞれの道を歩み始めることになるのだった。

マーキュリー・ライジング「Mercury Rising」、1998年のアメリカ映画 偶然、政府の機密情報システムの暗号を解いてしまった少年を、命がけで守るFBI捜査官の闘いを描いたサスペンスです。

自閉症ながらパズルには天才的な才能をもつ9歳の少年サイモンは、パズル雑誌に掲載された暗号を解読して、指定された場所に電話をした。そこは、全世界に張りめぐらされたスパイ網を管理する国家安全保安局だった。解読された暗号は、機密情報システム;マーキュリーを解読する極秘コードで、誰も解読できないことを確認するために、こっそりとパズル雑誌に載せられていたのだった。

システムの責任者の中佐は、機密保持のため部下にサイモンの抹殺を命令、無理心中に見せかけて彼の両親を殺す。事件の捜査に派遣された捜査官アート(ブルース・ウィリス)は、押し入れの奥に隠れていたサイモンを見つけ出して保護した。アートはサイモンの両親の死に不審を抱き、事件が仕組まれたものと疑い、サイモンを保護しながら捜査を続けるが、はたして二人を殺し屋が襲う。

通常のコミュニケーションがとれないサイモンに手を焼きながらも、同僚の捜査官ら の助けを得ながら、事件の真相を追求していく。事件の解決後、サイモンは親もなく施設に収容されるが、体を張って自分を守ってくれたアートには、心を開くのだった。

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